共同纲领日语怎么说 跪求《残酷天使的行动纲领》的日语发音~急。
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- 日语“そら”是什么意思?
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日语“そら”是什么意思?
そら
名词 「空」
意思 天空
感叹词 「そら」
使用作为唤起注意,指示的时候的语言。それ。
ex.
「そら、行くぞ。」
接头语 「空(そら)」
名词·动词·形容词等附有,是没有根据,
实质没有的事等的意义。
ex.
空耳 そらみみ
絵空事 えそらごと
日语太奇怪了吧?古代学习中文,应该是繁体字,怎么现在日语也有不少汉语简体字?
你说对了 很多都是参考日语的 据说中国的简化字来源有两种:1、借用早在宋元就在民间通信的俗体字如:鸡、国等;2、新创造的简体字,如龟等。第一种也传入了周围一些使用汉字的国家,所以在简化的过程中才会出现一致的现象。第二种除了巧合是不会一样简化的。
日本的简化字不像中国那样系统进行的 只是局部简化了一些字而已 有些人不用那些简化字也没关系 所以在中国人看来 日语就是中国繁体和简体的混合 所以相对于中国简体来说,日文还是更接近古代中文的 不管是字形还是语法。
以下是网上的资料,你可以参考一下:
日文字形是从中国汉字演变过来的。
不过由于近代日本较中国开放早很多,所以很多西方概念都是先译成日文然后再被转入国内的。
比如常见的“科学"一词,就是从日本引进的。当时西方science这个词来到中国时,最初是被翻译成”格致之学“,后来被日本那边的翻译”科学“所取代。而日语中科学最初是代表着”分科之学“,即各种现代科学的一个总称。
其它类似的词汇还有很多,随便复制一点放在下面:
白夜、百日咳、版画、半径、半旗、饱和、保险、保障、备品、背景、必要、编制、变压器、辩护士 标本、标高、表决、表象、病虫害、舶来品、博士、博物、不动产、不景气
C:、财阀、采光、参观、参看、参照、策动、插话、茶道、长波、常备兵、常识、场合、场所、衬衣、成分、成员、承认、乘客、乘务员、宠儿、抽象、出版、出版物、出超、出发点 出口、出庭、初夜权、处女地、处女作、储藏、储蓄、触媒、传染病、创作、催眠、催眠术、错觉
D:、大本营、大局、大气、代表、代言人、代议士、贷方、单纯、单利、单位、单行本、但书、蛋白质、导火线、德育、登记、登载、等外、低调、低能、低能儿、低压、敌视、抵抗、地上水、地下水、地质、动态、动议、动员 独裁、独占、读本、短波
E:、二重奏
F:、发明、法律、法人、法庭、法则、番号、反动、反对、反感、反射、反响、反应、泛神论、泛心论、范畴、方案、方程式、方程、方针、放射、分解、分配、分析、分子、风琴、封建、封锁、否定、否决、否认、服务、服用、辐射、复式、复员、复制、副食、副官、副手
G:、改编、改订、概括、概略、概念、概算、感性、干部、干事、干线、纲领、高潮、高利贷、高炉、高射炮、高周波、歌剧、工业、攻守同盟、公报、公立、公民、公判、公仆、公认 公诉、公营、公债、共产主义、共和、共鸣、古柯、固定、固体、故障、关系、观测、观点、观度、观念 观照、光年、光线、广场、广告、广义、归纳、规范、规则、国际、国教、国库、国立、国税、国体、过渡
H: 海拔、寒带、寒流、航空母舰、和服、黑死病、弧光、化石、化学、化妆品、画廊、环境、幻灯、幻想曲、回收、会谈、会社、会谈、混凝土、活跃、火成岩
J:、机关、机关枪、机械、积极、基地、基调、基督、基督教、基质、基准、集团、集中、计划、记号、记录、技师、加农炮、假定、假分数、假名 假想敌、尖兵、尖端、坚持、检波器、简单 见习、间接、间歇泉、间歇热、建筑、鉴定、讲师、讲坛、讲习、讲演、讲座、交感神经、交换、交通、交响乐、脚本、脚光、教科书、教授、教养、教育学、酵素、阶级、接吻、节约、结核、解放、解剖、介入、借方、金额、金刚石、金婚式、金牌、金融、金丝雀、紧张、进度、进化、进化论、进展、经费、经济 经济恐慌、经济学、经验、精神、景气、警察、警官、净化、静脉、竞技、就任、拘留、巨匠、巨头、巨星、具体、俱乐部、剧场、决算、绝对、觉书、军部、军国主义、军籍、军需品
而汉语拼音则是在建国后50年代为了扫除文盲,而专门由整府组织研究制定的。
跪求《残酷天使的行动纲领》的日语发音~急。
残酷な天使のように(ざんこくなてんしのように)
zankoku-na tenshi no you ni
就像那残酷的天使
少年よ神话になれ(しょうねんよ しんわになれ)
shounen yo shinwa ni nare
少年啊,成为神话吧
苍い风が今(あおいかぜがいま)
aoi kaze-ga ima
在此刻、蓝色的风
胸のドアを叩いても (むねのドアをたたいても)
mune no doa-o tataitemo
轻轻敲击着你的心门
私だけをただ见つめて (わたしだけをただみつめて)
watashi dake-o tada mitsumete
只凝视我
微笑んでる彼方 (ほほえんでるあなた)
hohoenderu-anata
对我微笑的你
そっと触れる物 (そっとふれるもの)
sotto fureru mono
手指轻轻触及的是
求めることに梦中で (もとめることにむちゅうで)
motomeru koto ni muchuu de
我一直不断沉醉于追寻着的目标
运命さえまだ知らない (うんめいさえまだしらない)
unmei sae mada shiranai
你连那命运都还不知道的
いたいけな瞳 (いたいけなひとみ)
itaike na hitomi
稚嫩的眼眸
だけどいつか気付くでしょう (だけどいつかきづくでしょう)
dakedo itsuka kizuku deshou
不过总有一天会发觉
その背中には (そのせなかには)
sono senaka ni wa
就在你背后
遥か未来めざすための (はるかみらいめざすための)
haruka mirai mezasu tameno
那为了前往遥远的未来而生的
羽根があること (はねがあること)
hane-ga aru-koto
羽翼存在着
残酷な天使のテーゼ (ざんこくなてんしのテーゼ)
zankoku na tenshi no teeze
残酷天使的行动纲领
窓辺からやがて飞び立つ (まどべんからやがてとびたつ)
madoben kara yagate tobitatsu
你就将从窗边飞去
迸る热いパトスで (ほとばしるあついパトスで)
hotobashilu atsui patosu de
迸射而出的炽热情感
思い出を裏切るなら (おもいでをうらぎるなら)
omoide o uragiru nara
假如冲破回忆就
この空を抱いて辉く (このそらをだいてかがやく)
kono sora o daite kagayaku
拥抱这宇宙闪耀吧
少年よ神话になれ (しょうねんよしんわになれ)
shounen yo shinwa ni nare
少年啊,成为神话吧
ずっと眠ってる (ずっとねむってる)
zutto nemutteru
一直沉睡在
私の爱の揺りかご (わたしのあいのゆりかご)
watashi no ai no yurikago
我的爱的摇篮中
あなただけが (あなただけが)
anata dake ga
只有你一人被
梦の使者に (ゆめのししゃに)
yume no shisha ni
梦之使者唤醒
呼ばれる朝がくる (よばれるあさがくる)
yobareru asa ga kuru
早晨即将来临
细い首筋を (ほそいくびすじを)
hosoi kubisuji o
在你纤细的颈项上
月明かりが映してる (つきあかりがうつしてる)
tsukiakari ga utsushiteru
正映着高悬的月光
世界中の时を止めて (せかいじゅうのときをとめて)
sekaijuu no toki o tomete
而我想停止全世界的时间
闭じ止めたいけど (とじこめたいけど)
tojikome tai kedo
将你封存于沉眠之中
もしも二人逢えたことに (もしもふたりあえたことに)
moshimo futari aeta kotoni
如果说我们两人的相逢
意味があるなら (いみがあるなら)
imi ga aru nara
是有意义的话
私はそう自由を知る (わたしはそうじゆうをしる)
watashi wa sou juu o shiru
那么我就是那本为了让你知道
ためのバイブル (ためのバイブル)
tameno baiburu
“自由”的圣经
残酷な天使のテーゼ (ざんこくなてんしのテーゼ)
zankoku na tenshi no teeze
残酷的天使计划
悲しみがそして始まる (かなしみがそしてはじまる)
kanashimi ga soshite hajimaru
悲伤自此开始
抱きしめた命の形 (だきしめたいのちのかたち)
dakishimeta i no chi no kadachi
被拥抱着的生命
その梦に目覚めた时 (そのゆめにめざめたとき)
sono yume ni mezameta toki
就在这梦境觉醒之时
谁よりも光を放つ (だれよりもひかりをはなつ)
dare yori mo hikari o hanatsu
放出无人可比的耀眼光芒
少年よ神话になれ (しょうねんよしんわになれ)
shounen yo shinwa ni nare
少年啊 成为神话吧
人は爱を纺ぎながら (ひとはあいをつむぎながら)
hito ha ai o tsumugi nagara
人类在爱欲的纠缠中
歴史を作る (れきしをつくる)
rekishi o tsukuru
创造着历史
女神なんてなれないまま (めがみなんてなれないまま)
megami nante nare nai mama
依然不能成为女神
私は生きる (わたしはいきる)
watashi wa ikiru
我就这样生存着
残酷な天使のテーゼ (ざんこくなてんしのテーゼ)
zankoku na tenshi no teeze
残酷的天使计划
窓弁からやがて飞び立つ (まどべからやがてとびたつ)
madobe kara yagate tobitatsu
就将从窗边飞去
迸る热いパトスで (ほとばしるあついパトスで)
hotobashiru atsui patosu de
迸射而出的炽热情感
思い出を裏切るなら (おもいでをうらぎるなら)
omoide o uragiru nara
假如冲破回忆就
この空を抱いて辉く (このそらをだいてかがやく)
kono sora o dai te kagayaku
拥抱这宇宙闪耀吧
少年よ神话になら (しょうねんよ しんわになれ)
shounen yo shinwa ni nare
少年啊,成为神话吧
日本语に翻訳してください。春秋2013/4/3付
风萧々(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し、壮士ひとたび去ってまた还(かえ)らず――。「史记」刺客列伝にあるこの言叶は悲壮感に満ちあふれている。ことに临むにあたり并々ならぬ覚悟を示し、悲愤慷慨(こうがい)、乾坤(けんこん)一掷(いってき)、みずから退路を断つ。こういう壮士风が日本人は昔もいまも嫌いではない。
▼日本维新の会が初の党大会で承认した新しい纲领も「风萧々……」の気分だろうか。いわく「日本を孤立と軽蔑の対象に贬(おとし)め、绝対平和という非现実的な共同幻想を押し付けた元凶である占领宪法を大幅に改正し、国家・民族を真の自立に导き、国家を蘇生させる」。なんだか决起をうながす檄文(げきぶん)のように热くて物々しい。
▼もとはずっと穏当な表现だったのを、共同代表の石原慎太郎さんが手を入れたという。壮士入魂の作かもしれないが、これはもう宪法破弃に近い。使い胜手のわるい条文をどう直すかという议论とは次元が异なろう。そもそも戦後日本が、世界からそんなに「孤立と軽蔑の対象に贬め」られてきたとは自虐的というものだ。
▼维新の纲领は、しかし他の部分には「开かれた社会」「勤労世代を元気に」などという今风の言い回しが出てくる。こちらは桥下彻大阪市长率いるグループのセンスだろう。木に竹を接いだ、「风萧々としてエキスイ寒くてね」といった文章でも読まされている感がある。众院に54议席も持つこの党のすがたがつかめない。 风萧々(しょうしょう)和易水(哎啦。)寒,壮士一旦一波又还(儿)没有—。“史”记刺客列传的,这句话是叶悲壮感洋溢着。尤其临むに一带并々非觉悟,显示出悲愤慷慨(如此,这么),乾坤(干坤)一掷(我走了),亲自断掉退路。这种壮士风日本人以前也现在也不讨厌。
▼日本维新会首次的党大会上承认了新的纲领也“风萧々……”的心情吧?。他说:“日本孤立和轻蔑的对象贬(先)快乐,绝対和平的非现实性的共同的幻想强加的元凶占领宪法大幅改正,国家、民族真正的自立导来,国家苏生”。总觉得决起促使檄文(缝分子),这样的热形容森严。
▼也一直稳妥的表现了,共同代表石原慎太郎先生入手。壮士呕心沥血的作品,但也许这已经是宪法破弃接近。使用胜手的条文怎么改坏。议论立场异吧。本来日本战后,从世界那么“孤立和轻蔑的对象贬放弃”了是自虐。
纲领。▼维新的,但是其他的部分是“开被社会”“勤劳代精神”等这样的现在风的表达出来。这是桥下彻大阪市长率领集团的感觉吧。木竹接い哟,“风萧々作为エキスイ冷啊”这样的文章也被看的感觉。众院54议座位也有这个党的姿抓不住
日语能力有限,这块实在读不懂,有人能给我翻译一下吗?
......。他们的交友氛围,后期藤村的【春】(明治41年)中有详细记述。翻阅【文学界】来看,与我们今天所抱有的浪漫主义概念毋宁说正好相反,中世纪的无常观更为突出——我们会再次惊讶于这一点。那里的共同点是某种厌世性的主性情,感叹现世的枷锁、并由此借力向非存在的世界目标跳跃的意愿。而且最重要的,是与以‘个体’的觉悟和解放为纲领的欧洲浪漫主义思潮志趣迥然不同的。他们中多数受到基du教(新 教)的强烈影响,但在苦恼于彼此宗jiao土壤的相异之前,就偏离了信仰。对他们来说,信仰问题,充其量是以灵与肉二元论为出发点,为憧憬形而上世界的一个意匠而已。
解读明治期间的文学的关键词,有【想】、【实】。在这里想再回忆一下近代小说启航期间,逍遥、二叶亭、森鸥外三者三种样式,论及【作者的理念】与【现实的临摹】间的关系。这两者要共同实现,其方法要如何方可呢——这应该是当时赋予【小说】的最大课题之一。而且,这同时是将人情世态小说的潮流与政 治小说的浪漫如何统合的课题、进一步来说,与看准其后的展开,通过言文一致的文体,怎样才可能描绘非现实的幻想世界这一课题也一定是相通的。当初主导【文学界】的是透谷的评论,但是将其中所提及的形而上世界体现成【小说】,这种尝试对这些同人志士来说还是非常大的一个负担。藤村打断这个念头走向散文小说家之路,花了十年以上的岁月。
今天来看,以【文学家】为发表舞台的小说家,首屈一指的应该举出的是樋口一叶吧。关于一叶,屡屡会有【奇迹的十四个月】这一形容。她在明治29年25岁上结束了短暂的生涯,病逝的十四个月之前,发表了【大つごもり】,以此为契机,与没有名气的习作时代诀别,陆续发表了【にごりえ】、【てけくらべ】,直至获得【今紫(当代紫式部)】的名声。